2016年留学 5日目

2016228() 留学5日目

 今日は午前中予定が無かったのでまずは六時頃に起きて、前日出してなかった日記を書き上げて提出し、その後寮生活で初めての洗濯をしました。ありがたいことに洗濯機コーナーの所の説明書きには英語も書かれていたので、使い方はなんとなく分かりましたが、カードが説明書きに書いてあるものと郭先生が教えてくださったもので名前が違っていたのでちょっと混乱しました。結局ロビーで事務の人に聞くと、売店で洗濯機用カードが売れてるからそれを買って使うのだと教えてくれました。カードは50元で、一回の洗濯で大体45元しか使わないので一人で買うには少々高めです。なので私は修大の子3人と一緒に割り勘で買うことにしました。
 洗濯が無事に済んだ後は島大生5人で上海苏州旅行用にお金を両替しに行きました。そしてお昼ご飯を食堂で食べました。今日は早めに食堂に行けたので3元くらいの空芯菜の炒め物と茄子の炒め物、煎饼などを食べました。全部合わせて150円前後でお腹いっぱいになれるのは中国の学食の良さだな、と思います。
 そして午後からは家庭訪問に行きました。今回私は一人島大組と離れ修大の曾我部と一緒に、丁先生の高校時代のご友人の谭慰萱さんのお家へお邪魔しました。さんのお家は北京市の中の通州区にあり、北语のある海淀区から東へ車で一時間ほどかかります。なので、車でわざわざ迎えに来てくださいました。その車が高級車のBMWだったので、余計に「失礼なことがあっちゃいけない」と思ってすごく緊張しました。車での移動中さんは気さくに話しかけてくださって、私達の自己紹介や日本でどれくらい中国語を勉強してるのか、北语での授業はどんな様子なのかなどをお話ししました。
 お家に着くとそこはきれいなマンションでした。団地なので周りにには同じような建物が数棟建っていました。中に入れてもらうと、まず広いリビングとダイニングがあり、ダイニングの奥の方に広いキッチンがついていました。奥の方には寝室があり、トイレと洗面所とバスルームは一つの空間に横並びで設置してありました。こういうマンションでもトイレが独立じゃないのは日本と大きく違うので驚きました。
 リビングに通されたので最初にリビングでさんとお話をしました。リビングには大きいソファやテレビ、観葉植物の他、2歳と1歳の子供がいるご家庭なので子供たちの遊び道具が置いてありました。最初に飲み物と果物を出してもらった時、「日本では友達が家に来たときはどんな風に過ごすの?」と聞かれたので、一緒にお茶をしておしゃべりしたりして過ごします、と答えました。それからお仕事についてのお話をしました。さんのお仕事はオークションに出品された中国の美術品を競り落とすバイヤーなんだそうです。オークションの様子を撮った写真を見せてもらうとすごく大きな規模のオークションだったので、すごい人だなと思いました。扱っている美術品の写真では絵画の写真が多かったので絵画だけ扱うのか聞いてみると、そうではなく磁器なども取り扱うのだそうで、磁器の写真も見せてもらいました。

その後は日本と中国のファッション専門のSNSの話になりました。「日本の子はどういうファッションが好きなの?」とか「この中ではどれがいい?」とか「日本のアプリと中国のアプリって何が違うの?どっちがいいの?」など色々質問されました。また日本のユーザーのコメントが分からないから教えて、と聞かれることもありました。ファッション系のアプリは基本使ってなかったので詳しいことがあまり分からず、曾我部に手伝ってもらいながらなんとか答えました。でも説明したくても分からない単語が多かったので電子辞書をたくさん使いました。すごくたどたどしい説明になってしまったので時々首を傾げられることもありましたが、何とか伝わった時に「ああ、そうなんだ!」って顔をしてもらえたので嬉しかったです。その他は、日本の大学でどんな授業を受けているのかという話をしたり、さんが飼ってらっしゃるインコを見せてもらったりしました。それと、日本から持ってきたお土産の豆団扇を渡すと、とっても喜んでくださいました。「これに描いてあるこの絵は何?」と聞かれ、電子辞書を使いながら舞妓の説明を少ししました。 

 キッチンにいたおばあさんが「ちょっとおいで」と言われたのでキッチンに行くとおばあさんとお手伝いさんが晩ご飯を作っておられました。何を作っているのかなど優しく教えてくださったのですが、食材の名前をあまり知らなかったのでちょっとしか説明が分かりませんでした。中国の食材を留学してる間にたくさん覚えておこうと思いました。
 その後、さんの1歳の息子さんが起きてきたので一緒に映画を見たり、遊んだりしました。全然人見知りしない子で、初対面の私達にも笑顔でくっついてきてくれました。本当に可愛かったです。2歳の娘さんは後から旦那さんと一緒に帰ってきました。旦那さんや娘さんとも少しお話をして過ごしました。娘さんも全然人見知りしない子で、とっても可愛かったです。
 いろいろお話した後は、一緒に晩ご飯を食べました。白身魚を揚げたものをソースで味付けしたものやシイタケの肉詰め、シーフードと野菜の炒め物、トマトと牛肉の煮込み料理など豪華な食事を用意してくださいました。どれも本当に美味しくて「真好吃!」と伝えると皆さん嬉しそうにしておられ、特にご飯を作ってくれたおばあさんはすごく喜んでおられました。旦那さんが材料になってる魚がどういう魚か教えてくださったり、「日本ではこんな料理を作ったりするの?」と聞かれて日本の料理の話をしたりして、楽しく食事ができました。子供たちも最初は一緒に食べると思ってたんですが、食べる気分じゃなくなったのかまたリビングで遊び初めてしまいました。旦那さんが途中で食べるのをやめ子供たちの様子を見に行ったりしておられたので、子育てはどこの国でも大変なんだな、と思いました。
 食べ終わってから少し休憩して、また車で送っていただいて帰りました。帰る間際におばあさんが「また北京に来た時にはうちへ遊びに来てね」と言ってくださったのが本当に嬉しかったです。

 今回の家庭訪問では先生もおられず、自分より中国語が話せない子と一緒にネイティヴのご家族のお家へ行くというなかなか大変な状況でしたが、自分の今使える限りの中国語をどうにか駆使してなんとかコミュニケーションが取れたので、少し自信がつきました。帰ってから郭先生に「単語の量が増えれば文法が苦手でも話せるようになる」と言われたので、どんどん単語を覚えいかなければいけないな、と思いました。

投稿者:岡 明歩
編集者:丁 雷

心情周记2016年10月31日

学生对我的评价

    昨天的集中讲义课上,我让学生们以《我的汉语老师》为题目写作文。看了他们写的文章我既兴奋又感动,我真的不知道我曾经对学生有那么大的影响,我不知道自己的这种在外人看起来有点儿傻的热情,对于学生而言却是难得的执着。学生在文章里感谢我,其实我最想感谢学生们。以下转发几篇小片段,跟大家分享一下。

节选1
有一天,在停自行车处我见到了一个男的。在我从被大风刮倒的自行车里找寻我自己的车子时,他走过来帮我把刮倒的自行车一辆辆搬好。我对他用日语说了句 谢谢你!,但是他只扬了扬手,走开了。我想问他的名字时,他已经走到很远的地方去了。当时我还不知道他是我们大学的汉语老师,后来我才知道,他的名字是丁雷。
(这段文字我看了好几遍,我实在想不起来自己曾经的不经意,却给了一个学生追随我学习汉语的契机)

节选2
一年级上学期的课学完了以后,我想进一步学习汉语。所以,我分别选择了王老师和丁老师的汉语课。在丁老师的课上,那是我跟他第一次见面。之前我听周围的同学都说丁老师很恐怖,教课特别严格,所以我上课前一直在担心。但是,比起这个,班上的学生少得可怜更让我吃惊。这些让我在没有见到他之前,心中的不安越来越强烈。但是当我听了他的课以后,我觉得他并不恐怖,甚至觉得能上他的课是一件幸运的事。

节选3
    一年级的时候,我和我的朋友都选择了丁老师的汉语检定指导课。我们当时并不认识丁老师,但是听周围的人说丁老师像鬼一样可怕。由于没有别的课可以选,我们只好硬着头皮选择了他的课。但是第一次课结束之后,我们并没有感到他很可怕,我只是觉得单词测试和语法练习有点儿难,因此我需要在家好好预习。说实在的,要不是丁老师的课,我都已经好久没有在家好好学习了。习惯了丁老师以后,我们开始模仿他的口头禅。上课和他开玩笑,嘻嘻哈哈,每节课都过得很愉快,一点儿也没觉得他恐怖。
    (说实话,对于2013年那一届学生,我的要求有些过于严格了。或许那时候自己也是年轻气盛吧,不太顾及学生的感受,甚至训斥起学生的时候口不择言。当时的语音测试录音里面,还能清楚地听到我对学生发音不满时的恶劣态度。这一点真的非常值得我反省。学生的心是很纤细的,一旦受伤,影响将是深远的)

节选4
     现在,我的汉语老师是丁老师,但是他并不是我的汉语启蒙老师。之前听说丁老师是很严厉的老师,所以我在第一次上他的课时非常紧张。但是,看到他倾注热情地为学生的汉语学习而努力工作,有时候我觉得我也需要理解他。他其实是既严厉但又有温情的一面。总体来说,他的课很有活力。相比较其他老师的课,在他的课上我说的汉语是最多的。他不但给我们介绍中国文化,还同时介绍日本文化,让我们了解到了很多日中文化中的差异。他的教法很容易懂,我的汉语语法就多亏了他的帮助。虽然课后的作业很多,但是从中我们也学到了很多知识。丁老师热情地帮助我们备考汉语检定考试。他不但星期六为我们开设了专门的辅导课程,每天还为我们听写单词。因为有了他的帮助,我顺利考上了汉语检定4级。我对他的指导表示衷心的感谢。

节选5
    丁老师给我的第一印象是聪明和严厉。而且上了他的课之后,我觉得我的感觉是正确的。但是,丁老师的教法易懂,这一点也非常重要。更让我吃惊的是他的日语,因为他的日语非常流利。我也想让我的汉语能够像他的日语一样流利。虽然我的汉语发音一直不太好,但是我很想对他说:学习汉语不容易但是很开心。

节选6
    丁老师是最照顾我的老师。跟丁老师初次见面的时候是在汉语演讲比赛的现场。我发言之后,他走过来边拍我的肩膀边说:辛苦你啦!那件事让我很高兴。另外,我现在决定去北京语言大学留学也是收到了丁老师的影响。

节选7
    为了提高我的汉语水平,我决定选修汉语辅修专业。于是在语音课上,我第一次有了和丁老师对话的机会。他汉语说得非常快,而且声音很大,看起来好像很严厉的样子。但是,随着上课的时间越来越长,我发现他对学生既严厉又和善,而且他是一个很有意思的人。渐渐地我喜欢上了他的课。之后,在备考汉语检定考试3级和岛大中文会的活动时,我也承蒙丁老师的关照。

    (就像我的老师郭春贵先生教导我的一样,把自己的全部热情倾注于教育事业,奉献给学生,才是一个教师最重要的使命。我一直没有忘记郭先生对我的教诲,在我指导学生的时候,我也始终是以他为榜样来要求自己。这很难,但是我一直在努力)
編集者:丁 雷

2016年度 海外研修Cー北京語言大学 募集中!!



2016年留学 4日目

2016227() 留学四日目

 今日はサポートの中国人学生の方達と一緒に、万里长城に行きました。日本以外の世界遺産を見るのは初めてだし、世界史の授業で習ったものの本物が見れると言うことでとてもワクワクしました。长城は戦国時代、北方からの騎馬民族の襲来への対策として山を越えて来ないよう城壁を作ったのが始まりで、秦朝の時始皇帝が大修築と増長をさせました。私たちが今見ることが出来るのは明朝初期に朱元璋が築造を行わせたものです。
 今回私達が行ったのは长城の中の「慕田峪长城」というところです。みんなで大学のバスに乗って移動しました。长城は山の方にあるので北京の中心部からは遠く、周辺の町の様子もなんだか日本の山間部みたいに山々の間の盆地に家が少し建っているという感じでした。
 长城に到着したときは結構寒かったのですが、その後登り始めてからは全然寒くなくなりました。とても登るのがきつくて暑くなってくるからです。长城に辿り着くまでに傾斜の急な階段を延々と340分くらい登らなければなりません。正直日本のちょっとした行楽の山登りを想像していたので、想像以上に疲れました。階段を登っていると、だんだん日本の寺社仏閣によくある境内までの長い階段を登っているような気分になってきましたが、それ以上にとても大変です。登っている人の中には中国の一般の観光客の方や海外からの観光客も多かったですが、特に中国の観光客は家族連れが本当に多く、子供たちが騒ぎながら登っていく様子や親御さんが子供を抱えて登ったり楽しそうに話をしながら登っているのを見ると、中国人の丈夫さは本当にすごいと感じます。昔から中国人はこんなにたくましいから、建築材料を抱えてこんな険しい山を登ってあんな城壁が築けたのかな、なんて思いました。私達はだんだん疲れて口数が減り、表情も険しくなっていきました。
 いよいよ山を登りきり、长城に着くと教科書で見たことのある石造りの道が続いていました。自分が长城の上に立っているのかと思うとすごく感慨深かったです。そして长城を歩くとアップダウンがとても激しかったです。山の形に沿って建設されているからです。途中にはやぐらのようなものが建ててあり、そこから遠くの方まで一望することが出来ました。そこからの景色は大体が山なのですが、日本の山と違って岩肌が見えているものが多くごつごつした感じで色合いが灰色という印象でした。日本の山は緑の生い茂っている山がほとんどなので色合いが全然違いました。
 帰りはロープウェイやゴーカートっぽいもので早く下る方法もあったそうですが、実際乗れるか分からなかったし待つ時間が無かったので歩いて下りました。下りたあとは文字通りみんな足がガクガクになりました。足が震えるほど疲れるような経験はあまりしてこなかったのでいい思い出です。
 大学に戻ったのは午後2時過ぎで、それから島大生5人で五道口に向かい、吉野家に行きました。中国にも吉野家はありますがメニューは日本と違うものが少なからず置いてあります。そして一番特徴的なのは「QD」というアイスクリーム屋さんとセットで営業されていることです。「QD」は日本でいうサーティーワンみたいな感じのお店です。吉野家で私が食べたのは「辣白菜猪肉饭」、つまり豚キムチ丼です。単品で16なので日本円で320円くらいです。値段は日本とあまり差がありません。食べてみると、上にのっているお肉は炒めてあり油っぽい感じがしました。日本ではダシで煮込むので全然違います。
 食べてからは17楼に戻り休憩したり勉強したりして過ごしました。その後、晩ごはんで今度は萨莉亚(サイゼリヤ)に行きました。留学直前に日本のも食べていたので、ここで食べ比べです。先生おすすめの辛味チキンがこっちにもあったのでそれを注文し、他にもミートドリアやピザ、パスタを注文しました。チキンは中国の方が辛さがしっかりあって、ミートドリアは日本と味付けが違って少し辛みがあるような気がしました。ピザは特に変わりなかったです。その後パスタが来なくて5人でどうしようかと考えていたら、一人の店員さんが様子を見かねたのか声をかけてくれました。そこでパスタが来てないことを伝えるともう売り切れてしまったんだと教えてくれました。その店員さんはすごく親切な方で、5人で4人席に詰めて座っていたので椅子を用意してくれました。中国で店員さんの優しさを感じたのは初めてですごく嬉しかったです。ただ、パスタが売り切れてたことについては、最初に注文を取った別の店員さんがそれを伝えに来なかったので、日本とは違うんだな、と思いました。
 他に日本との違いで最近気になるのは、お会計の時にレジの中のお金が足りないとか何か都合が悪い時に、お客さんに「1元ありますか?」と聞いたりして、ちょうどよくおつりが返せるよう協力させることがしょっちゅうあることです。日本では何が何でもおつりはきちんと用意して返すのが当たり前です。アルバイトをしている立場から言うと、中国のシステムの方が店側にとって都合がいいです。でも日本ではそんな接客はクレームを入れられてしまいます。接客に対する感覚の違いは日中間ですごくギャップがあるな、と思いました。

 その後は少し本屋に寄ったり、カフェに寄ったりして過ごし、17楼に戻りました。

投稿者:岡 明歩
編集者:丁 雷




2016年留学 3日目


2016226() 留学三日目


 今日から授業がスタートしました。私の入ったC10クラスは大体日本人が多くて、イタリア人やロシア人など一部外国人もいる、という感じでした。三月に入ってからまた増えるんだそうです。
 最初に「口语」「阅读中文」「听和说」の三つの教科書を渡され、まず「口语」の授業から始まりました。初めて全て中国語で説明される授業を受け、正直少ししんどかったです。日本の授業では先生が簡単な指示など中国語で話される他は、あまり中国語は使用されません。大事なことは日本語で言われるので、授業内容を聞いて理解するのに特に問題はありません。ですがここでは中国語しか使われないので、教科書に出てくる単語を説明する為に先生がまた別の単語を使うのです。なので、先生が説明の中で知らない単語を使われた時はますます意味が分からなくなってしまいます。授業前から分かっていたことですが、はじめて会った先生がおっしゃることを聞き取ってその場で理解するのは本当に大変なことなんだと感じました。ただ、集中して聞けば大体何を言っておられるのか分かるので、すごく手ごたえのある授業だな、とも思いました。
また授業中、先生から生徒への問いかけが頻繁にされるのですが、日本人が当てられてから話し出すのに対して、特に欧米から来た留学生はすごく積極的に話していました。彼らの話している内容を聞いていると、声調や文法など間違っているところも時々あるのですが、それらを恐れることなくしゃべっているのは本当に見習うべき姿勢だなと思いました。日本人は間違える回数が少ないですが、それはそもそもあまり発言していないからです。先生にも「同じ人ばかり発言しているけど、皆さん個人個人が発言しなければいけませんよ。」と発言を促される場面もありました。
 次に「阅读中文」の授業を受けました。最初の授業とは違う先生が来られ、スライドを使いながら教科書に書いてある様々な形式の資料を読んで、設問に答えるという授業でした。読むことがメインの授業なので、これは特に難しくは感じませんでした。設問の正しい答えがスライドで示されるので正しい答えを聞き逃すこともなく、落ち着いて授業を受けられました。授業が終わり昼ごはんを食堂で食べた後は寮に戻って、二時間ほど宿題をしたりして過ごしました。
 その後は留学生のサポートをしてくださる二人の先生の所へみんなでご挨拶をし行きました。お二人の先生はとても優しい雰囲気の方で、特に女性の先生はとても気さくな方でした。ここで、私たちが留学にあたって先生方の多大なるご尽力があったことなどを聞き、ますます感謝の気持ちが強まりました。
 ご挨拶が済んでからは、丁先生と島大生5人で清華大学や北京大学を見に行きました。先生の案内でまず清華大学まで歩いて行きました。移動中、車に轢かれそうになりながら道路を渡るということを何回もしました。中国では交通ルールが日本ほど厳しくなく、割り込みなど当たり前で、車のスピードも速いです。そして渋滞はしょっちゅう起こりその度にクラクションで煽る人がよくいます。渡る人のルールもそこまでないのか、轢かれたら自己責任といった感じでうまく車を避けながら渡っています。日本の特に車が多くない島根育ちの私からすると、こんな危険極まりない交通事情はありえないと思うのですが、実際目の前でこういうことが起こっているので、全然文化が違うな、と感じました。
 途中、中国のセブンイレブンに寄ってどんなものがあるのか見てみました。お菓子は輸入品が結構あり割と高いものが多く、日本のものと形があまり変わらないおにぎりやお弁当が置いてありました。ただ肉まんなどのホットスナックは日本のものより断然安いです。どれくらいかと言うと、日本だと120円くらいするものが40円程度で買えてしまいます。日本の肉まんももっと安くしてほしいものです。
 清華大学に着いた私たち6人は正門の所で写真を撮りました。清華大学は中国で二番目に敷地面積が広い大学で、広島大学のおよそ8倍はあるそうです。見渡す限り全部大学の建物という感じで、なんだか大学と言うより街っぽいなと思いました。先生曰く、入ってしまったら「出口はどこですか?」と聞かなきゃいけないくらいだそうです。なので、私たちは中にはいりませんでした。
 次に、バスに乗って北京大学に向かいました。バスはスピードが速く少々運転が荒いので、ジェットコースターに乗ってる気分でした。すごく混んだ道で速度も出してバスを運転できるなんて、中国のドライバーの技術はすさまじいです。ちなみに料金の支払いはカードでできるのですごく手軽でした。
 北京大学に着いたら一人分の学生証を提示して中に入りました。北京大学は先ほどの清華大学ほどじゃないですが広い大学です。そして、清国時代に「燕京大学」と名乗っていた頃の建物がたくさん残されている、すごく歴史を感じる大学です。大学内に石像や石碑もたくさん設置してあり、この北京大学がどんな歴史を持った大学なのかを教えてくれています。ソクラテスやセルバンテスといった誰でも知ってる人の石像の他、北京大学の地質学の発展に貢献したアメリカ人教授のお墓、新文化革命で犠牲となった人の慰霊碑などを見ました。島根大学にはそういったものは一切設置されていません。だからキャンパスを歩いている途中で、日本や島根の歴史を知るようなことは全然ありません。小さな庭園のようなものも北京大学にはありますが、日本の大学にはほとんどないと思います。大学にいるだけで国の歴史や文化を身近に感じられる環境はとてもいい環境だと思います。日本でもこういう歴史や文化を若者に伝えるための環境の整備がなされるといいな、と思いました。
 北京大学を出てからは、火鍋を食べに行ったり、IT関連の企業のビルが立ち並ぶところへ行ったりしました。火鍋は一番辛いスープと普通のを注文して食べました。私たちが行った店ではつけダレに入れる香菜(パクチー)が出てきました。先生に勧められ、まずは菜とスープだけで味わってみると、確かに香りが強く少々クセはありますが美味しかったです。つけダレが袋に入れられた状態で出てくるのには驚きました。日本ではふつう器に入れられた状態で出てきます。しかもそのつけダレがペースト状なのにも驚きました。でもこの方が、スープが入って薄まった時にちょうどよくなりそうだな、と思いました。鍋を実際食べてみるとすごく美味しかったのですが、辛い方は本当に山椒が効いていて食べると口がピリピリしました。それに香菜や他の香辛料の香りが強くて素材そのものの味があまりせず、スープの味が勝ってました。
ビル街の方は有名企業の大きなオフィスビルがたくさん建ち並んでおり、ここが中国経済を支えるエリートたちが働く街なのかと思うと、すごい場所に来てしまったな、という感じがしました。中国の最先端を目の当たりにして、アジア一の大国と評される理由が少し分かった気がしました。

帰りは初めて地铁を使って帰りました。個人的には乗り換えの案内が日本の地下鉄より分かりやすく感じました。どこで降りたら何番線に乗り換えられるかがすぐに分かるように車内の案内板に表示されてました。ここでも中国の人の多さを思い知らされ、電車の中でぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態で帰りました。

投稿者:岡 明歩
編集者:丁 雷