心情周记2016年11月22日

迷茫

    大学时光是人生中很容易迷茫的一个阶段。为什么这么说呢?因为很多大学生在高中时,他们的目标都非常明确----就是要考上大学。可是上了大学以后呢?虽然比高中的时候自由了很多,也没有升学的压力,但是面对五花八门的课程,还有不确定的未来,不少同学感到了迷茫。他们开始搞不清楚为什么要学习,找不到自己的奋斗目标,对前途担心但是又不知所措。这样心态往往让他们对每一件事都特别在意目的和结果。比如:为什么要上这门课?为什么要学习汉语?为什么要考检定考试?为什么要去留学?为什么要考教师资格证?等等。在还没有行动之前就要问自己这么多为什么,最后不但没有行动,还浪费了很多时间。结果不少同学因此陷入了无尽的烦恼之中。而说实在的,这一切的烦恼其实都是自己的想象和担心所致。
昨天和一位同学谈心,我问她为什么要参加这次北京语言大学的留学项目?她说一开始她自己也没有足够的勇气做出这个决定。因为这是她第一次出国,而且自己的汉语还不是很好,另外出国费用也是一个不小的负担。究竟这次出国能够给自己的大学生活带来什么样的变化?对于自己的未来又能带来多大的好处?她自己也没有答案。于是她和她的父母有了几次详谈。很幸运的是,她的父母非常开明。他们认为大学阶段本来就是一个开发自己潜力的阶段,找到自己的兴趣点,认识到自己的能力大小,这才是大学阶段最重要的作用。所以她的父母支持她这次留学,希望她能够通过这次留学认识真正的自己。

我为我的学生能够有这样开明的父母感到非常高兴。现在的大学生,他们的想法和做法其实也反映出日本社会目前的问题。尤其是山阴地区这样的偏僻地区,人们的意识非常保守。重重大山的隔绝,使得这一地区的人们和外界的交流充满了障碍。世界正在无时无刻地发生着改变,以环日本海为经济发展中心的新型区域经济体制正逐步替代以太平洋为中心的旧体制。这种变化要求山阴地区能够更加国际化,人们的思想能够更加开放。那么怎样才能做到这一点呢?我认为同学们应该不要放弃任何一个扩展自己视野的机会,不要放弃任何一个锻炼自己的机会。年轻的时候就应该多经历困难,开阔自己的视野。不要怕失败,不要怕浪费时间。我们应该始终相信:现在的挫折是为了未来的成功!
                                                  編集者:丁 雷

2016年留学 8日目

201632() 留学八日目


 今日は午前中授業を受けた後、Cクラス組で食堂の三階に行ってご飯を食べました。初めて入ったのですが、メニューの多さと一覧表があることに驚きました。先生からも「三階の方が美味しいよ」と聞いていたので期待して並んでみると、麺類やお粥など二階には無かったメニューがたくさんあり、おかずも種類が豊富で選ぶのに迷いました。ただ、メニュ―表があるため自分で料理名を言わないといけないのがちょっと大変でした。今回は普通にご飯が食べたかったので、ご飯とおかず二品を食べましたが、そのおかずも美味しかったです。次回は麺などにも挑戦したいと思います。

 そして午後からは2グループに分かれて、一方は卢沟桥、もう一方は丁先生のご実家での餃子パーティーに行きました。私は、今日は餃子パーティーの方に参加しました。先生のご実家に行ってお父さんお母さんに会うのは初めてだったので、行く前はすごくワクワクしました。お家に着くまでの道で軍の管轄下の敷地に入っている所は、北京の一般的な街の喧騒とは全く違う静けさがありました。すごく統制されているという印象で、歩いている時もちょっと緊張しました。お家に着くと奥さんがまず出迎えて下さり、その後お父さんやお母さんも出迎えてくださいました。お父さんもお母さんもとても優しい雰囲気の方でみんなをにこやかに歓迎してくださいました。

 最初はお父さんと先生、そしてみんなで挨拶程度にお話をしました。お父さんが少し日本語を話してくださったので嬉しかったです。その後先生に餃子に関する単語を教えてもらい、まず餡づくりをしました。お父さんが餡の材料を混ぜる手本を見せて下さり、それからみんなで数を数えながら混ぜました。みんなで一緒に数を数えながら作業するのは、団結感が出てすごく楽しかったです。
包む前に混ぜ終わった餡を置いておいて味をなじませるため、待っている間にみんなの自己紹介を先にやりました。周りは一年生ばかりで、みんな自分の自己紹介で専攻を言ったりするのに苦労しているみたいだったので少し助けてあげたりしました。自分はCクラスだし3年なのでみんなよりしっかりした内容を話さなきゃと思い、頑張りました。自分の出身や大学、専攻分野、北京に対する感想、家族構成など話し終わって一息ついた後、丁先生から「この前のスピーチコンテストの内容もちょっと話して。」と言われました。そんなリクエストが来るとは思っていなかったので、しどろもどろになりながら、スピーチコンテストで話したことを簡単に話しました。もっとちゃんと準備しとけばよかったです。その後他の子たちも自己紹介をし、お父さんお母さんや奥さんの質問に答えて楽しく過ごしました。

餡が出来たので次に皮で包む作業に入りました。ここでもお父さんの手本を見させてもらいました。日本の餃子の皮よりもっとモチモチしてて柔らかい皮を使い、ひだを作らず包むのが中国流です。包む時のコツは真ん中をまずしっかり閉じてその後左側から順にぎゅっと押さえて閉じることだと教わりました。包み方を教わった後はみんなでおしゃべりしながら餃子を包んでいきました。途中先生やお父さんお母さんが様子を見にきて、上手くできているなど見てくださいました。みんな餡の量の調整にてこずってましたが、何とか包めました。 

その後はゆでてもらってみんなで食べました。ものすごい量の餃子が出てきたので、こんなに作っていたのかと少し驚きました。中国では餃子のたれではなく酢につけて食べるそうで、黒酢みたいなものを出していただきそれにつけて食べました。皮が日本の物より厚めなので、食べた時ちょっとうどんみたいな食感だなと感じました。中の餡がジューシーでニラもたくさん入っていて美味しかったです。お酢の味も初めての味でしたが美味しかったです。少し独特の香りがしているような気がしました。食べても食べてもまだ餃子が出てくるのでお腹いっぱいになりました。
 食べ終わってみんなでメッセージを書いた後、記念撮影をしてお父さんお母さんとお別れをしました。別れ際にお父さんにお礼を言うと、「また来てね!今日は島根大学の子は3人だったから、今度は高桥佐藤も一緒にね!」と言ってくださいました。その言葉を聞いてすごく嬉しくなりました。またいつか、今度は島大組でそろって遊びに行きたいな、と思いました。そしてその時はもっといろんな話をお父さんお母さんとしたいな、とも思いました。

帰りは学生だけでどうにか地铁に乗って帰りました。帰ってから17楼のロビーで島大組はアイスを食べました。ちょうど近くに外国人留学生二人がいたので、勇気を出してちょっと話しかけてみました。頑張ってしゃべったらすごくフレンドリーに対応してくださいました。二人ともアゼルバイジャンから留学に来た男子学生で、後でWeChatを交換した方の学生はイブラヒムさんという方でした。また外国人留学生の知り合いが増えてよかったです。



部屋に戻ってからは、同屋と北京や中国の他の地域のどこに行ったことがあるのかという話をしました。私が毎回朝早くから夜まで部屋に戻らないので、毎日どこかへ遊びに行ってるのかと思っていたみたいです。それで、先生に連れて行ってもらった所や长城の話をしました。同屋は「天津がいいところだから行ったらいいよ」と教えてくれました。それを聞くとなおさら行きたくなってきました。留学が終わるまでに、なるべく行けそうな所は行っておきたいと思います。



投稿者:岡 明歩

編集者:丁 雷





2016年留学 7日目

201631() 留学七日目
 


  今日でもう一週間です。そろそろ日本が恋しくなるかなとも思ったのですが、意外とそうでもないです。多分島根より随分便利な所に住んでいるからでしょう。強いて言えば、日本食が食べたいとか湯船に浸かりたいとか、その程度の恋しさです。北京の交通事情にも慣れてきたので車が来てても怖がらずに渡れます。まだあと三週間、たくさんのことを経験したいと思います。

 今日は新たに听力の授業も始まり、口语听力の授業を受けました。口语の授業では「教科書を見ないで答えてください」と言われ、课文の内容を覚えた上で答える問題がたくさん出されました。自分で内容を思い出しながら話すのは結構難しくて、時々文法が間違ってる答えなんかも言っていたと思いますが、何とか言いたいことが伝わっているみたいなので、自信をもってもっとはっきりしゃべろう、と思いました。その後の听力の授業では、先生が説明の中で知らない単語をたくさん使われるので、理解するのがすごく大変でした。スライドで出された生词を習っている時も先生がその場で作った句子を復唱するので、何を言っているのか聞き取らなきゃいけないし、その意味も理解しないといけなかったので難しかったです。また课书に載っている問題も、中国の習慣を知っていないと何の話なのかよく分からないものもあったので、個人的に一番難しい授業は听力なんじゃないかと思いました。同学たちも難しそうにしていました。

 その後、お昼を同学佐藤森胁大平と一緒に食べました。本当はここに高桥もいるんですが、彼は体調不良で寮に帰ってしまいました。ちょっと心配です。私も海外で体調を崩すのは怖いので気をつけたいと思います。四人で食べている時「そろそろ食堂の二階のご飯には飽きたから、三階に行きたいね」という話になりました。三階の方が種類が豊富そうなので行くのが楽しみです。

 二時からは中国茶の講習会を受けました。中国茶の芸術のことは「茶艺」と言い、味を楽しむ日本の茶道とは違い、香りを最も大切にしているのが特徴だそうです。道具もいろいろあり、中国茶を淹れるときに使う茶碗「盖碗」や日本でいう急須みたいな「茶壶」など他、専用のお盆、匙、ガラス製のポットなどいろんな道具が用意されていました。日本よりも道具数が多いです。お茶の分類は全部で6種類あり、それぞれ「白茶」「绿茶」「黄茶」「乌龙茶」「红茶」「黑茶」と茶葉の色で呼ばれています。お茶は発酵の具合や産地で違うものだそうで、その細かい違いを楽しむのが茶艺だそうです。茶艺の手順は①看茶问香看汤色品茶看叶だそうで、お茶を淹れる前の茶葉から最後に淹れ終わった茶葉まで見て楽しむのは、他のお茶文化のある国には無い作法で面白いなと思いました。淹れ方も少し手間がかかり、お湯で茶器を温めたり、ゆっくりお湯を注いだり、最初に淹れたお茶は飲まないので一回捨ててお湯をまた注ぐなどしておられました。お茶は温度やお湯を注ぐ速さでも味に変化が出るものなんだそうです。特にびっくりしたのは、茶器を温めるためのお湯や、最初に淹れたお茶を全部お盆の上に流していたことです。そのためのお盆なのか、とその時初めてお盆の意味が分かりました。今回は白茶黄茶普洱茶茉莉花茶をいただきました。みんなで飲む時に、お茶を注いでもらった時のお礼の仕方を教わりました。人差し指と中指で机を二回叩くというもので、これで「谢谢」という意味になるんだそうです。これはお茶の席でもお酒の席でも使えるらしいので覚えておこうと思います。お茶を飲んでみると、味の細かい違いはまだよく分かりませんが、なんとなく香りが違うなという気がしました。中国の優雅な文化に触れられてとても楽しかったです。先生が教えてくださった「马莲」というお茶の専門店街も行けたらいいなと思います。


 夕食は丁先生と奥さん、島大組で烧卖を食べに行きました。本場のものは日本よりも大きくて少し形が小笼包みたいでした。中身が羊肉のものは特にジューシーで美味しかったです。このほか牛の胃袋や豚の胃袋の料理、白菜とカラシの料理、スープがほぼラー油な煮込み料理などいろいろ先生の選んでくださった料理を食べました。特に豚の胃袋が食感がコリコリしてて、ピリ辛の味付けだったので美味しかったです。さらにお店を変えてロバ肉にも初挑戦しました。出された料理はパニーニみたいなもので、挟んであるお肉がロバ肉です。臭みがあったりするのかと思いきや、味付けがしっかりしているおかげか、以外にも食べやすくて美味しかったです。


 17に戻って7時から初めての汉语桥に参加しました。私達島大・広大・修大の留学生の他何人か外国人留学生が参加していました。最初に隣に座っていた、修大の子の同屋のフランス人と軽くお話をしました。その後、クラスごとに分けられ、さらに4人グループを作ってお話をしました。私は大平北语の一年生の中国人学生、韓国からの留学生とグループになりました。Cクラスのメンバーなので割と話が弾み、旅行したことのある国の話や大学での専攻分野、趣味、異性を選ぶうえで大事だと思うことなどの話が出来ました。 留学するまで外国の人達とこんなにいろんな話が出来たことがなかったので、こうやって中国語という一つの言語でつながりあえるのがすごく楽しいし嬉しい、と今日の汉语桥に参加して思いました。その後一緒にしゃべった韓国人学生さんとWeChatを交換し、「一緒に頑張ろうね!」とお互いメッセージを送りあいました。次回の汉语桥も楽しみです。

投稿者:岡 明歩
編集者:丁 雷





心情周记2016年11月12日

勇气

中国古代有句老话:树挪死人挪活。意思就是把树木从它原来生长的地方移到一个新的地方是很难的一件事。如果弄得不好,树木就会因为水土不服而死亡。但是,人如果从原来成长的地方转移到另一个新的地方,则不会像树木那样容易水土不服。相反,因为人有很强的适应性,能够通过自力更生改善自己的生活环境和境遇,所以大多数人转移到另一个新的地方后,都会在思想上和生活技能方面成熟不少。
我出生在北京,但是在大概一岁的时候就被父母带到了西安。我在西安度过了自己的幼年时光后,八岁那年又被父母带到了深圳。在那里度过了我的少年和青少年时光。十八岁那年考到了北京的大学,在北京生活了四年后,二十二岁那年我只身踏上了来日本的求学之路。这一来,就来了十年。回想这些年自己的人生经历,由于经常搬家走动,因此我的人脉关系非常广。同时,不同的生活方式也让我形成了很容易与人交往的好习惯。这个好习惯为日后我当上大学教员奠定了很深的基础。辗转各地,也让我体会到了不同地方的人文风情,学会了不少生活技能,视野也得到了增长,语言方面也获得了很大的收获。不仅能说英语、日语,还能说一些中国各地的方言。长期与南北两方面的人交往,也让我开始对语言现象产生了浓厚的兴趣。这为我后来的硕士博士研究埋下了很深的伏笔。就连我的婚姻生活,也因为自己这些年丰富的个人经历,使得我在我妻子面前始终能够扮演一个“博学”的丈夫形象。

说了这么多,其实自己最想说的并不是吹嘘自己的这些经历,而是希望告诉我的学生们:勇敢地走出现在的生活圈,尝试改变自己的生活轨迹,这其实是一件百益而无一害的事情。来日本的这十年是我自己的选择,是改变自己命运的一种尝试。我觉得走到今天,这一步并没有走错。这十年,我遇到了很多事,认识了很多人。失去了一些,但得到了更多。总体来看要比大学毕业后就投身工作的同伴们活得更加自在。所以我对当初自己毅然决然决定来日本的做法,始终觉得钦佩!大胆走出国门,来到新的地方生活,这也是品味人生的一种重要方式。但是它的前提是,一定要有敢于走出这一步的勇气!
編集者:丁 雷